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2013/12/21

貧乏力、外見力、孤独力

貧乏力が強ければ、他に依存しないで自由気ままに生きていける。

外見力が強ければ、他から魅力を引き付けながら人生をエンジョイできる。

孤独力が強ければ、他に惑わされず人としての生き方を追求できる。

貧乏、外見、孤独などのマイナスイメージで一般的にとらえられているチカラが逆に人生を豊かに過ごすことができる基本的能力となっているようだ。

誰もが簡単に持てる、貧乏、外見、孤独が逆に生き方を豊かにする。

ひとつ言えることは、孤独だって人を強くする、貧乏も、中身が伴わず外見を磨くだけでも人は寄ってくる。

2013/12/16

天命70歳、寿命90歳

62歳を過ぎたからか、余生を考えるようになってきた。

人によって大きく違うが、70歳前後までならば誰もが人として人生を謳歌できるだろう、80歳を過ぎるとそれなりに、90歳前後になると廻りが遠慮するようになる。

イメージするならば、石原慎太郎は80歳、日野原重明は100歳。彼らは同年齢の中ではダントツの例外的に健康で元気だ。それでも、それなりの年齢に達しておりそれなりの思いやりを与えべき対象になっている。

安倍政権は国家公務員の定年を60歳から65歳へと2016年までに段階的に延長することに与党合意した。

年金支給年齢の繰り下げを迎える今、国は再任用という選択肢を与えず全ての国家公務員に対して定年延長という施策へと舵を切ったが、65歳まで本当に働かせるつもりなのだろうか?

今までなら、60歳を過ぎたら、後の余生は自分で決められたが、定年65歳と政治家に決められると、真面目な公務員は早期退職の選択肢を考えなくなる。

私は、余生程度はわがままに過ごしたいと、海外移住も含めて検討するために年末年始は海外旅行をすることにした。

2013/12/11

在宅医療は安上がりな医療ではないはず

地域包括ケア、認知症対策、在宅医療と、ここ2,3年厚労省を震源とした震動が激しくなってきた。

地域包括ケアでは、災害対応における自助、共助、公助という概念が介護や福祉領域にまで持ち込まれた。自己責任論から派生する自分の命は自分で守るという理論体系だ。

在宅医療についてもどうも合点がいかないことが多い。

  • 在宅医療を住民が本当に望んでいるのか?
  • 在宅医療は施設医療と同じ質を担保できるのか?
  • 在宅医療は施設医療よりも非効率的ではないのか?

これから始まる団塊の世代の高齢化のうねりに既存のシステムがキャパシティオーバーするという次善の策のような気がしてならない。理想のシステムならば知恵を絞りたいが、次善の策ならば他の方策が無いか知恵を絞りたい。

施設医療に比較して非効率的な在宅医療を推進するのは医療資源の無駄遣い、そして、家族の疲弊化につながるのではないだろうか?

清潔で24時間管理されている施設医療と比較すると在宅医療はリスクが多い。もちろん、最期は住み慣れた地域や家で迎えたいという希望があるならば、在宅医療の質はそれほど問われないが、それを持ってして在宅医療へ邁進するのは如何なものか?

在宅医療に住民のニーズがあるならば、それを満たせるような選択肢を提供するのは国の役割であるが、極一部の例外的な需要を針小棒大にしてはいないのだろうか? 例えば、アクシデントに対応できる往診が保証されるならばALS患者のほとんどは在宅医療を希望する。それを持ってして在宅医療に邁進するのは如何なものか?

スウェーデンなどの福祉先進国の在宅医療と、人類未曾有の高齢化社会に突入する日本の選択肢としての在宅医療は、目論見からして似て非なるもののような気がしてならない。

リライティングしている2015年、国は地域医療構想を打ち出してきた。トータルの病床数の減少を補うものとして在宅医療を明確に数字として出した