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2012/06/30

記者「10万人参加が見込まれますが感想は?」仙ちゃん「たいしたことない。たいしたことない。再稼働しなきゃダメだ」

田中稔(ジャーナリスト)のツイッターを見て、考えこんでしまった。
官邸前、18時25分。すでに8万人を超えた。まだまだ増えそうだ。衆院議員会館の仙谷由人事務所が入る8階から撮影。記者「10万人参加が見込まれますが感想は?」仙ちゃん「たいしたことない。たいしたことない。再稼働しなきゃダメだ」 
仙谷由人氏は、1946年生まれの全共闘の新左翼系学生運動家だから、彼のいう『たいしたことない。たいしたことない』の意味するところは深い。

あの当時は大学生なら学生運動をしなければ村八分状態だったことは十分に想像できる。

私も、東大安田講堂の事件のときは高校3年だったが、高校でもバリケードが築かれ学生紛争が同時多発的に起きていた。

70年安保世代はいつも60年安保世代に負い目を感じていたように感じる。だからか、過激化し、内ゲバに走り、急速に自滅したのだろう。

1970年に私も大学に入ったが、前年までの激しさの残り火が見える程度で、広いキャンパスの中を10数名が長い棒を横にして数名が持ちジグザクにデモをしていたのを見て、これが全共闘なのかと愕然としたものだ。その後の浅間山荘事件で追い打ちをかけられ、70年安保はあの世代で終焉を迎えた。

国会議事堂を囲むこの写真は、1960年6月18日に撮影されたもので、60年安保のものである。

仙谷氏が『たいしたことない。たいしたことない』という背景には、この60年安保のこと、あるいは自分自身の体験の70年安保を比較しているかのように受け取れる。

日米安保条約という極めて政治的なテーマと、個人の生き方に通じる反原発運動には大きな違いがある。

電気代月43円生活を屋久島でしている瀧本秀人のツイッターは当初のマイヨットサービスの営業ツールから原発反対に切り替わっている。

冷蔵庫もテレビも必要のない生活をしている彼にとっては、海が汚れる魚が汚れることは許せないことなのだろう。経済発展よりも環境保護を選択する人はいる。

政治的なテーマには組織的な取組が行われ、デモにつきものの動員計画が練られるが、今回の反原発デモは主催者も明確でない普通のお母さんや若者が集まってしまっただけのようだ。

その人数が警察発表で2万人弱、主催者発表で20万人。ツイッターやフェースブックによる自然発生的なデモを評価する術を未だ持っていないが、マスコミも注目し報道している。


2012/06/25

情報管理出版事業を振り返る

まさかと思っていたが、ふとしたきっかけで検索にひかかったのが、情報管理(星雲社)の出版物一覧

情報管理は、学研が出しているパソコン通信月刊誌『ネットピア』の企画・編集・版下作成・青稿までの丸投げを受けていた。実売見合いによる委託料だったが、パソコン通信からインターネットへの流れの中では部数が減少するとともに新たな展開を迫られた。

単行本の原価


人、物を流用できる単行本出版事業を開始した。いろいろと調べたが、新たな取次口座の取得よりも星雲社の口座を使わしていただくのが取次に支払う手数料が安いという古い出版流通システムに従った。

その当時の計画は、定価1500円の単行本の印刷製本費500円、流通経費500円、印税+出版経費500円と3分の1づつに割り振り、初刷5000部で二刷り以降は出版経費部分が利益となるものだった。

編集者の人件費、賃貸料も含めて出版経費とするので、上記例で言えば、印税分が10%の150円なので、175万円(=350円×5000部)。最低5000部が読める企画がどれほど生み出せるかにかかっており、あとはたまに出る二刷りはそのまま利益になる。

本の流通


部数が読めるだけでも、出版社の経営は可能となる。1000部の本なら1000部の作り方がある。ある出版社の社長が『10年かかって初刷1000部を売り切った』と嬉しそうに語っていた。出版文化を担っているというのはこういうことを言うのだろう。

一番重要なのは流通システムだ。委託と注文に分けられる。委託本は本屋に半年間展示してもらえるが売上が口座に入るのは半年後、売れなければ返本される。注文本は本屋からの注文で翌月に売上が入る。基本的に返本はない。

委託は見本誌を作って取次に何部受けてくれるかが判定される。取次もプロだからその目は鋭い。想定外のことも起きる。

本屋での委託本が店頭での露出となり広告となるので、取次が受けてくれる委託部数が多ければ平積みになり、広告効果が大きくなる。委託期間が過ぎて、その後、棚で半年に一冊でも回転していれば、あとはじっくりと待つだけ。

棚回転しなくなったら、再露出のために営業が本屋に出向き企画を提案するか、断裁して在庫を軽くすることになる。

この断裁というシステムを避ける一つの方法として、オンデマンド印刷もその当時検討されていたが、20年後のいまを見ると、主流にはなっていないようだ。

本屋での露出からインターネットでの露出へ


20年近く経過したいま、昔は本屋に毎週のように出かけ、面白そうな本を立ち読み、気に入ったら買うという生活をしていたが、今は、ツィッターやブログなどの記事を見て、そのままアマゾンで中古があればそれを無ければ新本を買っている。

本屋の代わりにインターネットの存在が大きくなってきただけのような気がする。

20年前は電子書籍が紙の本を追放すると出版社の方々は心配していたが、いまだ紙の書籍は残っている。ただ、露出が本屋からインターネットに確実に代わっている。

委託販売をゼロにして、取次はアマゾンに注文品を出すだけに利用して、インターネットでの露出を多くすれば、それなりの出版社経営がここ数年は成り立つような気がする。

1995年08月 私たちのびーねっと宣言 山内素子 1,029円
1995年12月 完全NIFTY-Serveマニュアル 1,554円
1996年04月 完全NIFTY-Serveマニュアル'96年度版 1,575円
1996年12月 インターネットバブル 亀井義明 2,310円
1996年12月 完全インターネツトガイド 情報管理編集部 2,520円
1997年03月 完全NIFTY-Serveマニュアル'97年度版 情報管理編集部 1,365円
1997年05月 ニフティで何ができるの 情報管理編集部 1,953円
1997年05月 FreeBSD/Linuxで始めるメーリングリスト管理者編 梅垣まさひろ 2,520円
1997年05月 今すぐ始めるメーリングリストユーザ編 梅垣まさひろ1,680円
1997年06月 ネットワーク管理者に捧げるLANの教典 村嶋修一 3,024円
1997年07月 ココから始まるインターネット 情報管理編集部 1,155円
1997年08月 最前線インターネット法律問題Q&A集 山下幸夫1,764円
1997年09月 日本語TEXT加工実用リファレンス 中島靖 1,680円
1997年09月 日本語TEXT加工入門ハンドブック 中島靖 1,680円
1997年10月 日本語TEXT加工実践ガイドブック 中島靖 2,100円
1997年11月 OCN&NTサーバで始める実践インターネットサイト構築技法 村嶋修一 3,990円
1997年12月 完全インターネツトニフティガイドブック'98年度版 情報管理編集部 2,520円 
1998年01月 Perl5リファレンスブック 中島靖 1,470円 
1998年01月 日本語文字コード表 中島靖 1,260円
1998年02月 Perl徹底活用インターネットダイレクトアクセス 中島靖 3,360円 
1998年03月 こっそりひそかにVBA 園田誠 1,680円 
1998年04月 日本語文字コード表Uicode順 中島靖 1,680円 
1998年05月 ExcelVBAマスターへの道 園田誠 1,680円 
1998年06月モバイルパワーテクニック 石川竜也 1,890円 
1998年07月 JavaScript1.2リファレンスブック 園田誠 1,890円 
1998年08月 VBScriptリファレンスブック 園田誠 1,680円
1998年10月 WebColorIdeaGuide 園田誠 1,260円 
1998年12月 Perl使いへの旅立ち 中島靖 1,890円 
1999年05月 ルータ&パケットフィルタリング 村嶋修一 2,520円

価格は5%税込

2012/06/22

正義が消えた日本で生きる

赤穂浪士が年末恒例のドラマなのは、正義を待ち望む庶民感情の発露だが、その待ち望んでいた庶民に正義が見えなくなってきている事例が最近多くなってきた。

この庶民共有感情が失せたのはマスコミによる世論誘導という陰謀説ではなく、その程度の日本人に我々が変質しマスコミを変えたと思わざるを得ない。と思っていたら、東京新聞の社説に久しぶりの正義を見た。

小沢元代表控訴 一審尊重へ制度改正を(東京新聞社説2012年5月10日)

一審無罪の小沢一郎民主党元代表を検察官役の指定弁護士が控訴するのは疑問だ。そもそも検察が起訴を断念した事件だ。一審無罪なら、その判断を尊重するよう検察審査会制度の改正を求めたい。 
新しい検察審制度で、小沢元代表が強制起訴されたのは、市民が「白か黒かを法廷で決着させたい」という結果だった。政治資金規正法違反の罪に問われたものの、一審判決は「故意や共謀は認められない」と判断している。 
つまり、「白」という決着はすでについているわけだ。検察が起訴する場合でも、一審が無罪なら、基本的に控訴すべきではないという考え方が法曹界にある。国家権力が強大な捜査権限をフルに用いて、有罪を証明できないならば、それ以上の権力行使は抑制するべきだという思想からだ。 
とくに小沢元代表の場合は、特捜検察が一人の政治家を長期間にわたり追い回し、起訴できなかった異様な事件である。ゼネコンからの巨額な闇献金を疑ったためだが、不発に終わった。見立て捜査そのものに政治的意図があったと勘繰られてもやむを得ない。 
小沢元代表はこの三年間、政治活動が実質的に制約を受けている。首相の座の可能性もあったことを考えると、本人ばかりでなく、選挙で支持した有権者の期待も踏みにじられたのと同然だ。 
新制度は従来、検察だけが独占していた起訴権限を市民にも広げる意味があり、評価する。だが、新制度ゆえに未整備な部分もある。検察官役の指定弁護士に一任される控訴判断はその典型例だ。検察でさえ、控訴は高検や最高検の上級庁と協議する。 
指定弁護士の独断で、小沢元代表をいつまでも刑事被告人の扱いにしてよいのか。「看過できない事実誤認」を理由とするが、検察審に提出された検察の捜査報告書などは虚偽の事実が記載されたものだ。どんな具体的な材料で一審判決を覆そうというのか。 
むしろ、「白か黒か」を判定した一審判決を尊重し、それを歯止めとする明文規定を設けるべきだ。最高裁も二月に、控訴審は一審の事実認定によほどの不合理がない限り、一審を尊重すべきだとする判断を示している。むろん被告が一審有罪の場合は、控訴するのは当然の権利だ。 
検察による不起訴、強制起訴による裁判で無罪なのに、「黒」だと際限なく後追いを続ける制度には手直しが急務である。

ただ、我々は小沢一郎ほどの強靭な精神を持っていないし、地位も持ってない。正義が通ると思って行動しているといつかは大きなしっぺ返しを食う。

庶民の生き方は正義に喝采をあげるに留め、争わず、拘らず、干渉せず、マイペースで生きていくのが賢明だろう。

2012/06/17

メタボリック対策をめぐって

メタボリック症候群とか特定健診とかというフレーズを初めて聞いたのは、医業を再開した直後の5年前のことだった。

メタボリック対策で医療費を減らすらしい。予防にかかる経費は医療費の減少で採算が合うとのことらしい。したがって、メタボリック検診の実施主体は経済的メリットを受ける保険者が行うらしい。より積極的に保険者が取り組むように、経済的成果が出るのを待たず特定健診受診率や保健指導率で財政的賞罰を与えるらしい。

 メタボリック症候群の診断基準の合理性


  • なぜ、BMIというデータの蓄積もあり割と正確だと言われている肥満率ではなく、腹囲という余りにも一般的であるもののそれほどデータの蓄積が無いのを使ったか?
  • なぜ、男性の方の基準を厳しくしたのか?
身長が180cmの人と身長が160cmの人の腹囲の基準が同じというのが、今までの医学的な常識を超越しており、ある意味でいえば政策的判断が入ったような感じがした。

かなり気になっていたので、昔の厚生省時代の同僚に、雑談の折りに『メタボリック大丈夫なんですかね?』と振ったら、『アドバルーンはともかく落ちどころを考えているのかな。後任者が困らなければいいが』

私は、メタボリックの診断基準の合理性に疑問を抱いただけなのだが、彼は、診断基準はその道の専門家が合意したもので口を出すものではないが、不確実性が残っている施策の軌道修正ができるよう、振り上げた拳の落とし所を作っているのか、不安だったようだ。

保健・医療・福祉の総合的推進


乳がん、子宮頸がん、大腸がんの受診率が先進国の中で大きく離されての最低になっている原因のひとつに、かかりつけ医によるものか集団検診によるものかがあると思われる。

結核検診は保健所や結核予防会などの検診車による集団検診方式が主流だった。その後、保健所の担っていた役割はなくなり、民による集団検診が主流となった。

旧厚生省および旧労働省は疾病予防のための検診を雇用主や市町村長に義務付けた。検診機関のない都道府県は検診機関を公益法人として設立するようになり、結果的に、結核予防会や対がん協会などに参加する検診機関や厚生連などの独立系がそれを受注するようになった。

韓国を含めた欧米系のがん検診は、かかりつけ医による対策型検診だとするならば、保健と医療の総合的推進をしなければならないのは我が国だけなのかもしれない。

特定健診も、血圧測定、体重チェック、血中脂肪、血糖などだから、かかりつけ医が定期的に行い、指導や治療も行うのが理想的だが、既に我が国特有の検診機関が受注する市場が成立している以上、地域医療を担っている医師会と検診機関との密接な連携が必要になってきたのだろう。

これから重くなってくるのは、介護などの福祉の領域だが、総合的推進が必要と言われない、一体的に取り組む体制になるのだろうか?

実践的メタボリック対策


  • アルコールは体内エネルギーには一切利用されないので焼酎などの蒸留酒を飲む
  • 炭水化物はエネルギー源なので体内脂肪を燃やすためにゼロ摂取を目指す
  • タンパク質や必須栄養素はすべて野菜からとる
  • 効果を発揮させるために運動もする

歩き出したのは2011年の8月2日からだった。 ズボンがきつくなったよりもワイシャツのボタンがはち切れそうになったことが一番の理由だが、何をするにも億劫になったこと、人間どこまで急激に痩せられるか挑戦したくなったことも影響している。


スタート時12日後増減
基礎代謝量1,684Kcal1,641Kcal▲43Kcal
体重86.7Kg82.6Kg▲4.1Kg
脂肪割合30.5%28.5%▲2.0%
脂肪量26.4Kg23.5Kg▲2.9Kg


12日間で4Kgの体重減少のうち、脂肪が2.9Kgと4分の3相当が減った。絶食したと仮定したのと同じ量になる。ただ、脂肪だけが燃えた訳ではないのは、事実なのか、あるいはこのタニタの脂肪計の限界なのかもしれない。

1万歩では648Kcalしかならず脂肪93グラムしか消費しない


朝夕の散歩で100.8EX、13万6424歩の消費カロリーは8,844Kcalになる。1日1万1千歩以上歩いていることになるが、そのカロリー消費量は1日737Kcalと1食分にしかすぎない。

1万歩以上散歩するには2時間近く必死に歩くことになり、これを時間ロスと考えると人生における1日2時間は健康維持が趣味でない限り継続するのは困難であろう。散歩に楽しさを感じるようになるか、エルゴメーターで効率的に運動するか、趣味としてのスポーツを再開するか、通勤などをうまく代用するか、考えなければならない。

絶食して1日安静にしていると1,684Kcalで脂肪240グラム消費する


生きているだけで使う基礎代謝は1日1,684Kcalだから、絶食すれば240gの脂肪を燃焼させることになり、320g程度の体重減少になる。しかし、必須栄養素などを外部から摂取しないので、病気になりやすくなったり、体調が悪くなったりするので、野菜のみを食べることにした。


  • 使ったエネルギーは、29,052Kcal=1684Kcal×12日+8844Kcal
  • 燃やした脂肪量のエネルギーは、20,300Kcal=2900g×7Kcal
  • 食べた1日当たりエネルギーは、729Kcal=(29,052Kcalー20,300Kcal)÷12日


脂肪を1グラム落とすには7Kcal必要、あれこれ計算すると1日当たりの摂取カロリーは729Kcalとなる。体脂肪計なんて信用していなかったがまあまあの納得できる数字になったのに驚いた。

そんなことを考えながら、朝6時からいつもどおりに松峯大橋経由の満天橋の6kmコースを歩いた。

それから10ヶ月、再掲載に当たり脂肪計を使ってみた



2011年8月2日2011年8月14日2012年6月17日
基礎代謝量1,684Kcal1,641Kcal
1,679Kcal
体重86.7Kg82.6Kg
85.7Kg
脂肪割合30.5%28.5%
29.8%
脂肪量26.4Kg23.5Kg
25.5Kg

あれから10ヶ月、日常の運動は一切せず、月に数度の30分程度の散歩、トレッキング1回。食事は炭水化物有りの食事が1日に1回程度で、揚げ物は月に数回程度。ものの見事にリバウンドしてしまった。

2012/06/15

ニコチン依存症からの脱出

1970年当時


喫煙歴を振り返る。20歳になった節目として始めた。手を出しやすい環境もあった。下宿の同級生は年齢が二つほど上でもあり、それなりの手ほどきもも受けた。

最初は煙いし旨くないが、意地もあり、部屋の中で練習をした。その当時の医学部の教室の後ろには灰皿が置いてあり、授業が始まる前や休憩時間に数人が喫煙していた中に入って、喫煙デビューをした。

それから5年


そのまま卒業し、保健所では、茶碗と灰皿は持参することになっていた。灰皿は机の上と診察室にも置き、診察の合間どころか、診察中にも喫煙していた。先輩の先生も喫煙者だったし、そもそも酒と煙草は大人の社交ルールとして定着しており、酒や煙草をたしなめない男は変わり者として扱われていた時代だった。

電車の中は禁煙だったが、汽車は平塚を過ぎると喫煙ができたし、会議の準備として灰皿をテーブルの上に置くことが、応接室には灰皿を置くことが、人をもてなす礼儀の一つになっていた。

鮮明に覚えているのは、高血圧の患者さんに指導する際には喫煙指導をしたが、それを喫煙しながら指導していたことだ。若干の違和感を覚え、公私のけじめと妙な論理構成をしていた。

その当時の喫煙の害は肺癌のリスク因子として定着していたが、禁煙効果が出て肺癌リスクから回避できるのは禁煙5年後からという理解だったが、徐々に喫煙の害が医療の現場で定着し、禁煙する医師が増えだした頃でもあった。

結核研究所で肺がん研修を受けた際の講師が禁煙中でポケットの中には煙草を入れているのは、いづでも吸えるという安心感と貰い煙草をする下品さを避けるためと、講義していたのも懐かしい思い出だ。

 1980年当時


厚生省の中でも喫煙フリーから会議中の禁煙が最初に導入された。その後、執務室内の禁煙が行われたものの、某局長室内は暗黙の喫煙室になっていた。喫煙フリーなのは喫茶店と居酒屋。喫煙できない喫茶店など想像さえできなかった時代だった。

米国に出張した折りの機内は喫煙可能だった、飛行場からバスに乗車して、灰皿があるのを確認し喫煙したら、同乗の米国人が迷惑そうに手で煙を払う仕草をしたので、一本のみで我慢した。米国出張中でも喫煙を我慢する状況はその後一切無かった記憶がある。

1990年当時


ニコレットが出始めの頃だが、医師の処方箋が無ければ入手できず、ひと月分で5万円前後していた。同級生が開業していたので処方してもらったが、彼曰く、何度となくニコレットで禁煙に挑戦しているが、いつも失敗する。それでもニコレットで禁煙している期間だけ煙草は吸っていないので、喫煙の害は少なくなる。ニコレットはいいものだと言っていたのが思い出される。

2000年当時


ニコレットが医師の処方箋が無くても自由に買えるようになり、何度となく挑戦したが、数ヶ月で失敗の繰り返しだった。その当時はパーラメントワンを一日60本吸っていたが、そのコストよりもニコレットの方が若干高かったのも、ニコレットが継続できなかった理由かもしれない。

それから5年


東北新幹線の全車両禁煙から始まったものの、東海道新幹線は喫煙車両が残っていたり、禁煙タクシーは乗る前に確認できるように表示してないと喫煙者とトラブルを起こす時代でもあったが、そんな経過期間を経て、路上喫煙や海水浴場などの屋外までも禁止になってきた。

職として公衆衛生に再度従事することになったこともあり、覚悟を決め、ニコチン依存症は治すつもりは無いが禁煙をするために、ニコレットを使い始めた。長期にわたる利用になるので、コストが煙草よりも安くなる個人輸入でニコトロールというニコチンガムにした。

2012年


ニコトロール服用直後は、2mg錠10タブレット前後だったのが、5年後のいまは4mg錠20タブレット近くになり、異常服用による人体実験的様相の怖さとニコチンによる心血管系リスクも高いこともあり、禁煙療法と条件反射制御法よろしく脱ニコチン依存症をチャンピックスによる保険診療を受けることにした。

脱ニコチン依存から3週間経過。すこぶる順調な展開


第一週目は、最初の3日間はチャンピックス0.5mg、次の4日間は0.5mgを朝夕2回。チャンピックスのユニークなのは、煙草(ニコレット)を自由に好きなだけ吸えることだ。私はいつものように使用しようとしたが、味が違うので途中で捨てることが多くなったが、使用量は変わらなかった。

第二週目は、チャンピックス1mgを朝夕服用開始。禁煙(禁ニコレット)も開始する。脱ニコチン症状は頑張って止めるときと比較すると極めて軽いが、3日間ほど続くが、その後は吸いたくなったときには深呼吸で吸った気にして楽に過ごせる。

第三週目は、酒を飲んだとき、目覚めのコーヒーを飲むときなどにトリガーが発露されるのを耐える。耐えるのが面倒なので、歯磨きガムで対処することにした。かなり楽になる。

第四週目は、歯磨きガムの代わりにNOTIMEを使うが、噛みごたえが柔らかく、全くもって使えない。このあたりは、禁煙する方は、禁煙パイポとか電子タバコで試行錯誤するのだろうか。

追記)2012/07/23


喫煙は成功したようだ。結果的にはチャンピックスは一ヶ月経過し、二ヶ月目に一月分の処方を受けたものの、服薬忘れが多くなり、結果的には服薬中止になった。

酒を飲んだときと朝のコーヒーを飲むときに、ふと煙草を思い出す程度で、禁断症状もなく喫煙願望も消失している。



2012/06/13

予防接種によるB型肝炎

2010年5月9日、鳩山内閣は和解協議入りした。

B型肝炎訴訟、和解協議入り 政府、勧告受け入れ方針決定【共同通信】(2010/05/09)
集団予防接種の注射器使い回しを放置した行政の責任が問われているB型肝炎訴訟で、政府は9日、鳩山由紀夫首相や関係閣僚による会合を開き、札幌、福岡両地裁の和解勧告を受け入れ、和解協議に応じる方針を決めた。札幌地裁での14日の進行協議で正式に表明する。 
B型肝炎ウイルスの感染者は推計で最大140万人とされ、被害救済の範囲次第では、過去最大規模の国による感染症補償となる可能性がある。原告側は勧告に応じる方針を既に決めており、一連の集団訴訟は最初の提訴から2年余りで解決に向け動き始めた。
首相公邸での会合には、鳩山首相、平野博文官房長官のほか、仙谷由人国家戦略担当相、菅直人財務相、長妻昭厚生労働相らが加わった。


2010年10月15日、補償での増税に言及


菅首相:国民の理解が前提-B型肝炎訴訟補償での増税【ブルームバーグ】(2010年10月15日)
菅直人首相は15日夜、全国B型肝炎訴訟で国が試算した原告らへの補償額の財政負担の財源を捻出(ねんしゅつ)するために増税するには、国民の理解を得ることが前提との認識を示した。官邸で記者団に語った。
野田佳彦財務相は15日の閣議後会見で、全国B型肝炎訴訟で原告らへの補償額として国が試算した2兆円の財政負担の財源として、増税による国民負担が生じる可能性に触れたと共同通信が報じていた。
首相は記者団に対し、野田氏の発言について「国民の理解を得られるということが重要だと思う」と語った。
これを遡ること4年前に最高裁の判例がある。2006年6月16日、国の責任を次のように記載している。

我が国では、予防接種法、結核予防法等に基づき,集団予防接種等が実施されてきた。国は、1948年厚生省告示第95号において,注射針の消毒は必ず被接種者1人ごとに行わなければならないことを定め、1950年厚生省告示第39号において、1人ごとの注射針の取替えを定めたが,我が国において上記医学的知見が形成された1951年以降も、集団予防接種等の実施機関に対して、注射器(針、筒)の1人ごとの交換又は徹底した消毒の励行等を指導せず、注射器の連続使用の実態を放置していた。
判例に記載されている上記医学的知見については最高裁は次のように認定している。
我が国においても、遅くとも1951年当時には、血清肝炎が人間の血液内に存在するウイルスにより感染する病気であり、黄だんを発症しない保菌者が存在すること、そして、注射の際に、注射針のみならず注射筒を連続使用した場合にもウイルス感染が生ずる危険性があることについて医学的知見が形成されていた。
判決では『1951年当時にはウイルスによる感染である』と書いているが、『B型肝炎ウイルスの発見は1973年のことである』とも認定している。つまり、ウィルスによる感染であろうとは思われていたがウィルスは確認されていなかった期間が20年以上あった。

事実、1964年にライシャワー大使が刺された事件があったが、輸血後肝炎になったことから、国は初めて売血制度を廃止する方向に動き、停止されたのはその後5年後のことである。

輸血後肝炎はウィルスであろうことは想像できたが、ウィルスそのものが確認されていないため、特定の人の限られた売血よりも善意による不特定の献血の方がより安全であろうということで、黄色い血キャンペーンをして切り替えたと思われる。

裏返して言えば、ライシャワー事件が起きるまでの15年間は、肝炎ウィルスに汚染されているかもしれない血液を輸血後肝炎が2割の確率で起きることを想定した上で治療の目的で輸血していたのが、医療の現場だった。

1951年は日米和平条約締結のとき終戦5年後のことである。愛媛労災病院の篠崎文彦先生は、予防接種とB型肝炎において、
敗戦後のわが国において予防接種に注射針をひとり一人交換して行うには物理的にも経済的にも無理であったと思われ、せいぜいエタノールで針先を消毒するのが精一杯であった事が想像される
かなりソフトな表現であるが、最高裁の判決がその当時の医療の現場や経済状況を理解した上での判決なのかを問うているように感じる。さらに、
1967年、Blunbergらは頻回に輸血を受けた血友病患者の血清中の抗体に反応する抗原がオーストラリア原住民の血清にあることをたまたま発見しオーストラリア抗原と命名した。1968年、PrinceやOkochiらがB型肝炎ウイルス関連の抗原であることを明らかにした。1970年になってDaneらは電子顕微鏡を用いてB型肝炎ウイルスの本体をつきとめた。
私が医学部を卒業したのは1976年。内科研修を受けた頃は、nonAnonB今で言うC型肝炎が大きな研究ジャンルだった。そしてHCV抗体が測れるようになったのは1992年以降である。

最高裁の判決は判例になり国民は受け入れる


つまり、厚生省は針の交換を定めた、それを周知させ徹底させる責務が国にある、徹底されていない現場はエタノール消毒で針の使い回しをしていた、だから損害賠償する責任は周知徹底する責務を果たしていない国が負うべきとの判決と思われる。

  • 告示したときの理想と、周知徹底するときの現実にギャップがあったのではないか?
  • 過去の国の責任を負うのが、今の納税者なのだろうか?

考えてみたい。




ハンセン病について

ハンセン病については厚労省のハンセン病に関する情報ページが詳しいが、ハンセン病について何が問題だったのか理解する一番の道は、患者の生の声に耳を傾けそのエピソードを積み上げた集大成から導きだされるもの。

星塚敬愛園『名もなき星たちよ』からつれづれの歌を読んで


皇室の存在が患者にとって精神的支えとして如何に大きなものだったのか、親兄弟親戚や地域はおろか国・都道府県・市町村さらには医療施設からも偏見に満ちあふれている中で、しかも戦前の皇室なのだから今の時代からは想像できないものだろう。

なお、『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』では、皇室の隔離施策の正当化に果たした役割を冷静に分析しているものの、つれづれの歌に書かれている皇室活動を決して損なうものではない。むしろ、組織としての皇室と個人としての皇室という二面性があるようにさえ感じる。

患者収容を読んで


戦前はともかく戦後間もない米国GHQ統治下のデモクラシー優先時にでも患者の人権保護よりも集団防疫が優先され非科学的な対応もなされていたことは記憶していかなければならない。

最近の事例でも新型インフルエンザの停留措置ではメディア報道が拡声器のような効果も果たしたこともありこの風潮は根強く残っている。保健所がハンセン病患者の自宅消毒を行う際の防御服の描写は水際作戦で飛行機に乗り込む検疫所職員の姿と重なる。

皇太子奉迎を読んで


2年後に東京オリンピックが開催される1962年は現天皇が成婚された3年後。既に戦後の混乱も収まり新しい日本の構築が始まっているとき、皇太子夫妻の奉迎に300名の入園者が参加できたのは彼らの熱意が通じたものであり、時代が変わったことを示している。

しかし、数日後、入園者が陣取っていた沿道を市の衛生部が消毒したことが判明し、その抗議に対して市当局が陳謝するという時代でもあった。ここにも個人としての皇室の規範と、組織としての市の衛生部の行動とのギャップに驚く。

その10年後の1972年にもげ現天皇夫妻は国体の合間に星塚敬愛園を訪問された。

国民の誤謬か行政の誤謬か


『名もなき星たちよ』を読みすすむにつれ、ハンセン病患者への人権侵害はヒトそのものの本能的なものが顕在化しているような思いがする。新型インフルエンザや精神障害者の隔離施策の合理性を突き詰めるよりも組織防衛を優先する考え方や、ヒトの単なるデビエーションに過ぎない同性愛者への偏見は学校でのイジメに通じるものがある。

行政も立法も司法も国民の総意を具現化するための組織とするならば、行政の誤謬は、どこまで合理性を追求するかという国民からの期待から背かない限り、国民の誤謬と言えるのではないだろうか。

国民の誤謬があるとしたならば、何に起因しているのか、それを解き明かさなければならない。

2012/06/09

我が国のがん検診はガラパゴス化している

我が国のがん検診受診率は先進国の中では最下位がキーワードになっているので、調べてみた。確かに、ものの見事に最下位であり、その差に致命的なものさえ感じるほどである。全国健康関係主管課長会議にがん対策推進室から出されている資料は、次の乳がん検診と子宮頸がん検診だが、我が国が先んじている胃がん検診や肺がん検診はどうなっているかと調べると、
胃がん検診は諸外国(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、カナダ、オランダ、フィンランド)においては実施されておらず、我が国独自のものである(平成18年1月現在)
市町村事業における肺がん検診の見直しについてに次の記載がある。
諸外国(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、カナダ、オランダ、フィンランド)での実施状況を調査したところ、これらの国では肺がん検診は実施されていなかった(平成18年5月現在)
と 諸外国では検診そのものを実施していなかった。

なぜ、乳がんと子宮頸がん検診の受診率が日本だけが異様に低いのか?


アジア系の韓国からも大きく引き離されていることを考えると、日本人という特性によるものと解釈するよりも、対策型検診の手法に相違があると考えた方が分かりやすい。

しっかりとしたレポートがほしいところだが、どうも、諸外国はかかりつけ医による定期的な健康チェックの一貫で行われている施設検診のようである。一方、我が国は検診車によるものが主流で、定められた日時と場所に集合して受診する集団検診方式。どうも対策型検診の手法論による違いがこの受診率の差に現れているように思える。

厚生労働省も、かかりつけ医によるがん検診を推進するためか、かかりつけ医ハンドブックを作成しているのも、日本における乳がんと子宮頸がん検診の受診率の低さのひとつの要素ととらえていると思える。

つまり、検診受診率が低いのは、受診する国民側だけの問題ではなく、実施する側にも課題があるように思えてならない。

なぜ、日本だけが胃がんと肺がん検診をしているのか?


しかも、胃がん検診は50年以上の歴史があり、老人保健法で取り入れられた肺がん検診も20年以上の歴史があるにも関わらず、諸外国は未だに導入せず、我が国のみが検診を継続している。

国立がん研究センターがん予防・検診研究センターのがん検診ガイドライン推奨のまとめでは、科学的根拠に基づきBランクであるも『死亡率減少効果を示す相応な証拠があるので、実施することを勧める』として、胃がん検診および肺がん検診は、対策型検診として推奨している。

諸外国が胃がん検診をやらない理由は分からないが、そもそも胃がんの発生率が低いからなのか、X線装置と読影技術などの基盤が脆弱なのか、なんらかの理由があろうと思われる。肺がん検診についてもタバコ対策による一次予防を重視しているのかもしれない。

外国は外国、日本は日本。がん検診受診率が低いと実態を把握せず率のみを喧伝する手法に感心しないのと同様に、科学的根拠に基づき推奨されている検診なのだから、がん検診の欠点について理解を得ながら粛々と普及啓発を行なっていくのが王道だろう。


2012/06/08

がん検診の欠点と不利益

平成24年6月1日開催の第34回厚生科学審議会地域保健健康増進栄養部会での資料に次期国民健康づくり運動プラン策定専門委員会報告があり、その中の『健康日本21(第2次)の推進に関する参考資料(案)』を読んでいると、厚労省の審議会等の文章にしては、妙に文脈の流れに逆らっている箇所があった。
まず、がん検診については、がん対策推進計画に沿った取組を行っていくことが重要である。 具体的には、これまでの受診率向上施策の効果を検証した上で、検診受診の手続きの簡略化、効果的な受診勧奨方法の開発、職域のがん検診との連携など、より効率的・効果的ながん検診を検討する。 なお、普及啓発活動に取り組む際には、がん検診の意義、がんの死亡率を下げるため政策として行う対策型検診と人間ドックなどの任意型検診との違いや、
がん検診で必ずがんを見つけられるとは限らないこと、がんがなくてもがん検診の結果が「陽性」となる場合があること、がん検診やその後の精密検査を受けることによって身体的(検査による合併症等)・精神的(苦痛、心配等)・社会的(費用、時間等)な負担が生じ得ること、また、その人の寿命を縮めるとは限らないがんを診断・治療する可能性(いわゆる過剰診断・過剰治療)があることなど、
がん検診の欠点やがん検診に伴う不利益についても理解を得られるようにすることも必要である。
『すること必要である』と結ぶことによって印象は弱くなっているものの、その内容は、
  1. がん検診で必ずがんを見つけられるとは限らない 
  2. がんがなくてもがん検診の結果が「陽性」となる場合がある 
  3. がん検診やその後の精密検査を受けることによって検査による合併症等が生じることがある 
  4. がん検診やその後の精密検査を受けることによって苦痛や心配等で悩むことがある 
  5. がん検診やその後の精密検査を受けることによって費用や時間等の負担が生じ得る 
  6. その人の寿命を縮めるとは限らないがんを診断・治療する可能性(いわゆる過剰診断・過剰治療)がある 
とインパクトが強い。特に6番目に書かれていることは、30年ほど以前の医師間の会話を思い出す。『がんが完治したかのように見えるのはそもそも治療しなくても進行が極めて遅いがんだった可能性は無いかね』、『早期がんの何割が進行がんになるのかね』

がん検診の普及啓発のために、検診で早期発見しがんが完治した人がよく紹介されるのを覚めた目で見ていたが、厚労省の審議会資料に参考として、このようにあからさまに書かれると、ふと大丈夫かなと心配までしてしまう。

そもそも、文脈そのものは、


国が施策として行う対策型検診は人間ドックなどの任意型検診と違うので、がん検診の欠点や不利益について理解を得られるようにすることも必要である
であり、その欠点や不利益の内容を具体的に記載しただけであるが、参考資料としてこのまま消えるのかと思っていたら、平成24年6月8日に報道された新『がん対策推進基本計画』では、
がん検診の意義、がんの死亡率を下げるため政策として行う対策型検診と人間ドックなどの任意型検診との違いや、がん検診で必ずがんを見つけられるけではないことやがんがなくてもがん検診の結果が「陽性」となる場合もあるなどがん検診の欠点についても理解を得られるよう普及啓発活動を進める。 
 と、がん検診の不利益箇所が『など』にカットされるも、文脈が生き残り、閣議決定されることになった。

がん検診の欠点と不利益を普及啓発する必要性


医師の胃がん検診受診率は一般集団よりも低いのではないかというアンケート結果がm3に出ている。

年齢分布が同じかどうかも不明の単なるアンケート結果として見てほしいが、非医師集団599名の胃X線検査受診率22%、内視鏡受診率19%の計41%に比べて、医師集団1081名の胃X線受診率14%、内視鏡受診率20%の計34%。

もし、医師集団の方が有意に検診受診率が低いとしたら、がん検診の不利益さを普及啓発する必要性があるとも言える。

事実、私の父親の話になるが、一ヶ月後に世界一周クルージングに夫婦で行くことになっていたが、かかりつけ医の薦めもあり、CTによる肺がん検査を受けた。年齢は68歳。異常陰影があり築地のがんセンターを受診することになり、クルージングはキャンセル。早期肺癌であるも切除不能のため放射線療法と化学療法を受けるも本人は納得できず、四国がんセンターに転院し切除を懇願しつつ、10か月で永眠した。

もし、父親が肺がん検診を受けていなかったら、夫婦揃っての世界一周クルージングを満喫していた。これが、早期発見すればがんは治るという普及啓発の弊害としたら、悔やまれてならない。

がん検診の誤解


いろいろな人と会話していてがんに関することで気になることがある。

  • がんは早期に発見すれば必ず治る(がんの種類によっては早期でも不可)
  • 毎年がん検診を受けていれば安心だ(それでも駄目なことがある)
  • タバコを吸っていないのに肺がんになった。受動喫煙でなったに違いない(肺がんの種類によってはタバコとは無関係のものがある)

がんの予防啓発や検診の受診率を上げることは施策的にも大変重要なことであるが、啓発活動そのものにより一定の誤解を与えているとしたら、行き過ぎた点が無かったか医療関係者として反省しなければならない。

運がよけりゃ誰かが代わりに働いてくれる

運がよけりゃ


マイ・フェア・レディの父親アルフレッドが歌った
運がよけりゃ 運がよけりゃ
誰かが代わりに 働いてくれる

まっとうな人生 おくるのもいいが
運がよけりゃ 暴れ放題

女は男と結婚し 愛の巣作って世話を焼く
男を釣るため 女はいるが
運がよけりゃ 餌だけ食い逃げだ
勝ち組負け組、ワーキングプア問題は、資質や努力だけでは解決できないからこそ、自己責任論へと軽々しく転嫁できない。

ワーキングプアからホームレスへ


あれこれ論を考えるよりも、hitolineというホームレスの動画とブログに見えなかった真実が隠れているように感じる。

自己選択的に田舎から東京へ出て、ホームレス生活に入り、少ない現金を競馬に賭け持金がゼロになり、ハローワークでバイトの仕事をしつつ、動画のカメラマンを目標に4か月間に21本を投稿した。

作られた第三者の目による映像ではなく、ホームレス自身がネットという媒体を使って自己表現をしようとしている姿の衝撃度は強い。彼はブログも作っており、そのタイトルが『ホームレス生存確認ブログ』といのも、ホームレスになりつつも社会との接点を持ち続けようとしているのも驚きだ。

東京に出る前の田舎での生活はハローワークでの単発仕事のようだったが、交通費を除くと1日3000円にしかならずアパートの家賃を2ヶ月遅延する生活なのだから、生活継続可能性があるものではなかった。

そんな折に女の子に扮したニコ生でのチョコレート料理放送で人気を得たのだろうか、その翌月にリセットしての東京行。そして、ホームレースという選択をした。


10月4日ニコ生でチョコレート料理放送はじめる ボタンをおすだけのカメラマンを目指して女の子主を可愛くとる配信する10月中はよくハロワにいって日雇いの仕事をするけど、交通費とかひくと一日3000円位しかもらえない。 家賃2ヶ月払わなかったけど結局ぜんぶ払ってアパートをでる。 
11月1日に田舎から東京にくる。この日からホームレス開始。アパートの家賃と東京にくる電車賃でお金が一気にへり1万5000円しかなくなる。 東京について夜中ウロウロしてメガネなくす。天皇賞があるのをしり、お金をふやすために競馬場にいく。 よなか歩いて東京競馬場にいき、ウォッカとしらない馬に5100円とられる。よる雨がふる。 次の日も雨がふり雨の中、府中を見学する 寒すぎてねれないので深夜はドンキですごす。 
11月20日50円でパンの耳かって残り2円。
11月21日新撰組の近藤勇隊長に2円おふせして神頼みする。所持金0になる。 
11月23日ハロワで仕事を見つける。ハロワから放送。
11月24日仕事をして6000円ゲット。菓子パンをもらったよ。 
12月6日三鷹の電車おき場、太宰治のおぼれたところ、ジブリ美術館、吉祥寺のおしゃれスポットを放送する。
12月7日荻窪につく。駐車場でねる。
12月16日大田区にくる。黒の手袋、ネックウォーマー、靴下、帽子をかう。
12月23日品川区にくる。 靴をかう。寝袋なしで耐えられるか挑戦する。
1月1日山梨で砂利はこびをする。
1月8日東京にもどる。親にばれる。
1月9日親がくる。
1月11日親がかえる。お年玉3万円ゲット。充電できるバリカンをかう。 
1月29日渋谷センター街で職質にあう。松涛でセレブ野宿。
2月2日雪がふったので皇居にいく。警察にとり囲まれるけど無事にげる。
2月3日テントをかいに神田小川町にいくけど高くてかえなかった。東京タワーにいく。
2月4日目黒寄生虫館に行く。女の子がたくさんいた。
2月5日恵比寿ガーデンプレイスにいく
2月6日駒沢オリンピック公園、馬事公苑にいく。お馬さんがいた。
2月7日砧公園で猫とねる。
2月8日等々力渓谷でいやされる。
4月3日東京タワーの下でさくらを見ようとしたのに雨でぬれちゃった。
4月4日晴海のデートスポットでお花見テント。海がきれいだよ。 

hitolintubeの動画を見ていると本人は動画カメラマンを目指しているとのこと、限界生活としてのホームレス生活の厳しさが感じられるドキュメンタリーとしてのインパクトには強烈さがある。

トイレの中で寝袋から寒いという声とともに起きる動画で始まり、ハウスバーモントカレーの業務用の紹介動画では、野菜のエキスなど栄養があると説明している。お湯に溶かして毎日飲んでいるとナレーションが入る。

動画は2010年6月19日が最後で、ブログ投稿も6月20日が最後となっている。4月25日からの風邪が2ヶ月経過しても治らないとのことなので、入院あるいは親元に帰るなどがあったかと思われる。

今のワーキングプアのなにが問題か


マイ・フェア・レディで描かれるまでもなく、昔からワーキングプアはあった。不公平感も感じつつアルフレッドよろしく運がよけりゃと笑い飛ばしていた。

なぜ、いま、ワーキングプアが問題となっているのか、なぜhitolineがホームレスになったのか、そのなぜこそが本質と思われる。

2012/06/06

禁煙療法と条件反射制御法

吸い込み喫煙と吹かし喫煙

喫煙者には、どうも二種類いるのではないかと思い始めたのは、高校の同級生に数年振りに会ったときのことだった。彼も煙草を吸うようになっていたが、私の吸い方を見て、
煙を肺の奥まで吸い込むんだね
と驚いた。肺の奥まで吸い込むと咳き込むので吹かす感じで吸っていたらしい。そのときは、背伸びをしたスタイルとしての喫煙であり、これから喫煙者になるかの岐路に立っているにしか過ぎないと思った。

そして30年を過ぎた今、職場の同僚が、
禁煙を解いて喫煙を再開したら、鬱々とした気持ちが消失した
と、明るい声で告白した。禁煙は軽い鬱状態になることもあるので、日々を楽しく過ごせるなら、それも選択のうちだねと応えたが、どうも違う。

昼間は吸わない、吸うのは家に帰ってから、禁煙したときも禁断症状などなく楽だったので、再度の禁煙も躊躇なくできる。詳しく話しを聞いてみると、彼は肺の奥まで吸い込まず吹かすタイプの喫煙者だった。

吹かし喫煙者への禁煙療法


同じグループに入れているが、吸い込むタイプと吹かすタイプの喫煙者がいる。前者は血中ニコチン濃度の低下が、後者は気分がトリガーになる条件反射だ。喫煙行為によって帰結する報酬回路という意味では同じだが、禁煙療法的には若干の違いがある。

数年前、厚労省の某参事官が喫煙者だったので、会議や執務中のストレス過多をよく耐えていると同情し、ニコチンガムで乗り切る方法を伝え、一錠を服用させてみたところ、ものの30分で苦くて耐えられないと吐き出したことがあった。

吹かすタイプの喫煙者は、何らかのトリガーがあり、

  1. タバコを取る
  2. 一本取り出す
  3. くわえる
  4. ライターに火を点ける
  5. 先端に火を点ける
  6. 軽く吸い込み吐き出す
  7. ニコチンによるドーパミン効果

この一連の連鎖がドミノ倒しのように流れることで達成感を伴う満足を得られることでは、吸い込むタイプの喫煙者と同じだが、トリガーが血中ニコチン濃度の低下ではないことが違う。

吹かすタイプの全例がニコチン依存症への単なる過程に過ぎないとだけ解釈するのは違うようだ。血中ニコチン濃度の急激な増加によって悪心などの不愉快な反応が起こり、結果的にタバコの吸い込みを抑制するメカニズムの体質保有者が一定程度いるように感じる。

いま主流のチャンピックスも以前のニコチンガムやパッチによる療法も、すべてニコチンに着目しているが、吹かすタイプの喫煙者には全く意味がない。むしろ、禁煙パイポ、無ニコチン電子タバコなどを使用した条件反射制御法が効果的であろう。ある意味では禁煙セラピーも似ているのかもしれない。

吸い込み喫煙者への禁煙療法


吸い込むタイプの喫煙者は、血中ニコチン濃度の低下がトリガーになるため、いわゆるチェーン・スモーキングになる傾向が強く、一日喫煙本数も2箱3箱とヘビースモーカーとなる。

このタイプの禁煙療法は、禁断症状という血中ニコチン濃度の低下に1,2日間、脳の代償的変化の数日を乗り切れば、あとは吹かすタイプの療法と同じものとなる。耐えて乗り切るのもいいが、ニコチン漸減法とでもいうニコチンガム、パッチなどがあるが、使い方を間違うと特にニコチンガムの場合にはニコチンガム依存症という新たな条件反射が成立してしまう。

無難なのはチャンピックスだけだろう。禁断症状にはニコチン類似効果があり、再喫煙にはブロック作用があるので、理想過ぎる薬剤である。

喫煙トリガーを無効化する擬似喫煙


血中ニコチン濃度の低下を除いても、喫煙トリガーはあらゆるシチュエーションで起きている。

  • 運動のあと
  • 風呂あがり
  • 山頂に着いたとき
  • 大仕事を仕上げたあと
  • イライラしたとき
  • 食事後のコーヒーを飲んだとき
  • 考えがまとまらないとき
  • ほろよい気分のとき
  • 目覚めたとき

あげればいくらでも出てくる。人によっては喫煙所を見た瞬間、飛行機から降りたとき、山を見たとき、川のせせらぎを聞いたとき、雨が止んだときなど、日常生活のあらゆる場面で喫煙衝動が起きる。

喫煙衝動は、ブレックファーストならぬ禁煙ブレック衝動そのものがトリガー化してしまうのもあるが、ニコチンによる至福感を連想した衝動という本末転倒なもの、逃げのストレス回避手段もの、喫煙思い出しシチュエーションなど、あらゆるものがトリガーになっている。

平井愼二は、条件反射を制御するには、最終的な成果無しのドミノ倒しを反復体験させることが当該条件反射を抑制させ消失させると言っている。更に、抑制させる新たな負の条件反射を構築させる必要性も言っている。

形状もいいし、火が点いたように赤くなるし、煙も出るという電子タバコが擬似喫煙に最適な道具のように見える。小道具なしに擬似喫煙をイメージ化して最後に深く吸い込み吐き出すだけでも、条件反射のドミノ倒しが完成し至福感を感じる。タバコを吸わなくても擬似喫煙でも満足できることを体験すると、条件反射を制御した達成感が得られるのも面白い。

その繰り返しで、トリガーそのものの出現が少なくなってくると平井愼二は言うが、自らが実験台となり、実証しているが、平井理論がある程度裏付けられているのに驚いている。


参考文献:嗜癖行動に対する条件反射制御法研修会資料(平成23年12月、実技研修資料は省略)